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劇団新感線「狐晴明九尾狩」感想

劇団☆新感線の「狐晴明九尾狩」を見た

 

http://www.vi-shinkansen.co.jp/kyubi/

 

新感線という名前そのものは聞いたことがあって、めちゃくちゃ面白いという評判は知っていた。有名なのは知っているけれど正体はわからなかったから本も読んで予習もした。

 

https://www.amazon.co.jp/dp/B07JYSVPHX/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1

(現代の演劇史も俯瞰できる、非常に興味深い本でした。)

 

観に行く機会が持てて本当に良かった。エンターテインメント性が非常に高く、笑える場面から迫真の殺陣まで、ああ面白いなあとトレンディドラマやバラエティを見る感覚で楽しんでいたら足元をすくわれたので感想を書きます。

いやもう本当に「赤坂ACTシアター箱に対してトイレ少なすぎやろwwww」とか笑っている場合じゃなかった。思ってもみないところで生気が吸われるほどの衝撃を受けるとは。ちょっと明日からどうやって生きていけばいいんだこれって気持ちになっている。これだから観劇はやめられない止まらない。

 

ここからネタバレがあります。未観劇の方はご注意ください。

 

 

 

 

 

 

 

ワンクッション入れたのでいきなり核心に入りますが、ゲラゲラ笑って楽しんでいたところを横から殴られたのは最後の展開です。

 

九尾の狐が晴明の「感情」を道連れに退治される。その後の晴明の台詞。会場の物販で脚本を買わなかったため、うろ覚えになってしまいますが、晴明が

「私の分まで皆さんが笑ったり、怒ったり、悲しんだり、楽しんだりしてください。その姿を見て、私も生きているという実感を得ます」

というような内容のことを言うんですね。

これがすごく二面的な台詞だと感じて。

一面は舞台上の役者としての台詞です。役者でもない一般人観客がこのようなことを発言するのはおこがましいですが、観客がお芝居を見て笑ったり泣いたり、何か心が動かされるような体験をできたというのは、その舞台で働くものにとっては冥利に尽きることだろうと察せられます。まさしく役者にとって「観客が舞台に感動する」というのは自分が仕事を務めている、舞台上で生きているという実感を得られることにほかならないのではないでしょうか。

もう一面が、観客の立場からの言葉です。現に私は今、舞台上でそれぞれの役が喜怒哀楽、悲喜交々を経験するのを見て、心震わせ「生きている」という実感を得ている。舞台上の晴明のような、何を見ても心が動かないという悲惨な立場ではないけれど、今ここにいるという感覚を舞台を通して抱いている。

舞台と観客、虚構と現実という構図、その構図を指摘する言葉のメッセージ性の強さ、そしてそれを数百人の観客に連日投げかけるというのがあまりにも強烈で呆然としてしまった。

本当に面白くて素晴らしかった。最低でもあと3回くらい見たい。

 

最初から最後までチョコたっぷりで面白かったのですが、印象深い演出は休憩前の、タイトルが「九尾狐晴明狩」に変わるところと、紅白の小林幸子の衣装並みにすごい九尾のラスボス完全復活体です。大きいものはわくわくする。タイトルが変わる演出は全人類好きだって決まっている。

 

ラストシーンの言葉の強さと、あと中村倫也の色気を高濃度で受け取ってしまったせいで明日からどうやって生きていけばいいのかわからない。とりあえずパンフと脚本を公式ネット通販でポチりました。