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『鶴かもしれない2022』感想

こんにちは。秋見鳥です。

本日より下北沢は本多劇場で開催中の、小沢道成ひとり芝居『鶴かもしれない2022』を拝見してきたので、記録として感想を書きます。

 

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本多劇場。演劇の聖地・下北沢の頂点とも言える劇場とは聞いていたのですが、入ったのは初めてでした。椅子はふかふかで舞台の見通しがよく、さすがは老舗、よい箱です。隣で知らない男の人が彼女と思われる女性に向かって延々と演劇史と演劇論を語っているのに、勝手に「わかるぜ……」と呟いていました。さすが老舗劇場だぜ。素人並感。

 

あと『鶴かもしれない』非常に面白くて、余韻に浸りながら歩いていたら、下北沢の駅の階段で盛大にずっこけました。皆様は舞台がどんなに面白くてもどうぞ足元に気を付けてお帰りください。アラサーにもなって膝に擦り傷を作って帰るとは思わなかったよ。あと小さな段差に躓かない筋力を身に着けようね……。

 

前書きが長くなりましたが、ここから本編です。

※舞台の革新に触れるネタバレがあります。

※あらすじ紹介とかしないよ

※自分語りが多いよ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

きちんとしたソースがあるわけではないのですが、風俗や夜の仕事を経験したことのある人は、他の仕事をすることが少ないという噂を聞いたことがあります。

理由は至極単純、収入が多いからというのがその話の結論でした。実際はそれだけではない、複雑な事情が、一人一人にあるのだろうなと思います。これは、そんな物語。

 

男に愛された鶴は、羽を売ることで男を助け、恩を返そうとした。

人間は羽を持たない。代わりに何を売ればよい?

 

本作は一人芝居で、登場人物の年代や容姿が明確に描かれるわけではないので、ここからはほとんどが私の想像、あるいは妄想です。

男はかなり若いのだろうなと思う。バンドになって売れたい、そんな夢を持っているけれど、本気かと言われるとそうでもない。音楽という芸術を自分は作っている、世の中の資本主義に従っている人々とは少し違う。バンドという明確な夢があって、それに向かって頑張っているという自分に満足している。だから、夢は持つものであって叶えるものではない。本人は絶対にそうは言わないだろうけれども。なぜそう思うのか。これを書いている私がかつてそういう風に生きていたし、今も変わっていないからです。

 

逆に、女は結構な年なのだろうと思う。この世には、金で買える愛と金では買えない愛が存在すること、金で買える愛は案外簡単に手に入るけれど、金では買えない愛は掴むのが容易ではないことを知っている。本当のどん底を知る女にとって、「どん底」を歌う男は、まるで天上に立っているように見えたことだろう。

 

「それしか金を稼ぐ方法を知らない」というのは、本当のことなのだろうな、と思う。ニューヨークへ行って、パフォーマンスをしたいという男の夢想を、女は叶えようとしてしまった。そうすれば、羽を、身を売る鶴ではない、何かになれる。男にとってかけがえのない女になれると思って。でも男が本当にほしいのは、そんなものではなく、「こうしたい」「こうなりたい」と駄弁りながら前進も後退もすることなく過ごす日常なのだろうと思う。

多分、鶴も女を同じで、人間の世界において、男に何かを返す方法が、自分の身を犠牲にすることしか知らなかったのだろう。

 

男は、若い。この世には夜の闇が確かに存在することを知らず、その事実を受け入れるには若く潔癖でありすぎた。だから、女を拒絶した。

「鶴は羽を広げ、空へ飛び立って行きました」――現代の恩返しはそのような美しいものではない。女は醜く、未練がましく泣いて、這い上がれないどん底へ戻っていく。生きていくために。

 

小沢道成さんという方は恥ずかしながら今回のお芝居で初めて知った役者の方なのですが、発声と振る舞いが完全に女性のものでとても驚きました。ラストのほうの、男と女を交互に演じる場面は、2人の人物が交錯しながら溶け合い交わるようで圧巻。料理のシーンやセックスシーンなどの体の動きも躍動感があり素晴らしかった。

 

演出や舞台セットもいいですね。話の進行に合わせてピアノ線でセットが浮いて、キッチンや街の情景に変わるのがいい。吊り下げられたラジカセから他人の声がするというのも、一人芝居ならではの他人を表現する演出で面白い。

あと何と言ってもお衣装! 男と女の切り替えとして着物が使われるのですが、最初の女が出てきたときの衣装はスカートのように裾が広がりつつ、襟元は着物のようであり、袖には羽のようにあるいは和服の袖のように広がる装飾が付いているのが、鳥のようで面白いと思いました。男の衣装はバンドマンっぽい(語彙力)感じでありながら黒と白でタンチョウの羽のよう、春を売る女の衣装は鮮やかで蝶のよう……本日の公演で使われなかった衣装がロビーにて飾られていましたが、別の日は別の衣装で演じたりするのでしょうか?

 

あと劇中の「森へ行こう」の歌は非常に共感しつつ良い曲だと思いました。ギターも面白いし、語りや歌を即興的に作りつつ歌う感じがいい。いつか、いつか行こう。いつか帰ろう。昔話のように、人間が、野性的に生活できる場所へ。でも具体的に「いつ」なのかは言わない。現代社会はそんな欺瞞と夢想が蔓延している。

 

「猟師に助けられた鶴は本当に幸せだったのか。この先もつらい思いをするくらいなら、そのまま死んでしまったほうがいいと思っていたのではないか」と、男に捨てられた女は語る。死のうと思っていた時に、戯れに手が差し出されれば、縋ってしまうのは当然だろう。だから他人を助けるのが必ずしもよいこととは限らないというとか、そういう話ではないと思うのだけれども、多面的な『鶴の恩返し』の見方を提示し、今まさに「どん底」を生きる人に救いとなってほしいと願う、そんなお芝居でした。

 

以上、『鶴かもしれない2022』感想でした。観に行ってよかったです。