『兇魔劇「TSUYAMA30-津山三十人殺し-」』感想
こんにちは。秋見鳥です。
今日はザムザ阿佐ヶ谷へ今一番ホットな演劇団体、PSYCHOSISの津山三十人殺しを観に行って参りました。
昨年の『ドグラ・マグラ』を拝見して以来、楽しみにしすぎたせいで期待値が大気圏を超えるくらい高まっていましたが、太陽系を呑み込むような素晴らしい舞台を見れたので感無量です。おらこれを観るために生きてたんだよ……
ネタバレのない感想。舞台セットの絵画は購入することができるとのことですが、私は観客席から見て右手の、椅子が逆さまになってる画が好きです。
※ネタバレしかない
※特に説明はないので、あらすじは他のところで保管して下さい
※乱文乱筆失礼します。
津山事件も阿部定事件もWikipediaを流し読みした程度の認識です。横溝正史の『八つ墓村』を読んで知りました。
前の方に座っていたので、冒頭、真っ暗で後ろから息遣いが聞こえてくるのが怖かったです。お化け屋敷来たんだったかと一瞬考えましたが、そういえばこれホラーだったわ。
田舎の閉鎖感と家族の距離感の描き方が上手い。何気ない言葉が呪いとなって相手を蝕むというのは確かにある。
ムツオが中学校へ行けないのは金銭的に難しいことや継嗣が家を出ては困るなどの理由があり、それを隠しての「あたしを1人を残さないで」という嘆きに繋がるとは思うのだけれど、子供は言葉を裏まで見ることはできずそのまま受け取る。おばあちゃんが進学に反対して狂乱するシーンは、世界観を考えると本当にその通りだったのかもしれませんが、子供のムツオの目からそう見えた、とも解釈できる。
だから、「ばっちゃを残していくのは不憫だ」という理由で祖母を殺すという行動に繋がるのは、おばあちゃんに言われたことをそのまま返しているだけなんですよね。自分にかけられた呪いを解き、一番重い荷を下ろす作業だったのだと思うと、決して許される行為ではないけれど静かに感動してしまう。
姉ひとり、弟ひとり。姉の事件に対する言葉が、弟を責めるでもなく、亡くなった人を悼むでもなく、「もしもあの時私が代わりに殺していれば」という共感なのが業なのですが、味わい深く噛みしめてしまった。姉は惨劇の夜にその場にいなかった第三者ではあるのですが、殺される側ではなく殺す側なんですよね……。
津山三十人殺し、史実を見る限りでは救いがあまりなく、どう描くのかと興味を持っていましたが、「惨劇を避けるため、主人公を生かす・活かすために様々な人物が暗躍する」というのは、なかなかいい落とし所だと思います。最終的には殺す方が悪い、運が悪い、時代が悪いというのはありますが、史実を見る限り犯人にも同情の余地があるように思っていたので、その燻りが共に浄化されたような気持ちになりました。トイムツオが自死する時に照らされるのは、両手を合わせた絵画であり、それがまた劇中人物や現実の事件に対する「祈り」であるのか、などと考えました。
高取英は、ただ事件にインスピレーションを得ただけではなく、敬意を込めて脚本を書いたのだろうなと思います。
ムツオの姉・ミサ役の渡辺実希さんという方は、本日初めて知ったのですが、すごく演技が素敵でよかったです。最後のセリフはもちろん、小説を書く少年ムツオと会話するシーン等、感心しました。別の舞台でも拝見したい。
あと軍人の登場シーン色気がすごくてかっこよかった。谷間に目が行ってしまったのは内緒。
阿部定は描き方が難しかったと思いますがよかったですね~。母性と色気と強さの混合浴。処女を奪われてからのやけっぱちな激情が熱い。犯行の動機や異常性を台詞で語らない演技がすごい。
國崎さんの石田が安定のイケメンでやっぱり色気が半端なかったので、これは妻子がいる浮気相手だと思っていても絆されるわと思いました。愛憎の強さが首にかかる紅い紐に伝わっちゃったんだろうね。
もとが月蝕歌劇団の脚本とのことで、歌唱パートあり銃撃戦あり、陰鬱な物語でしたが突き抜けた演出には底なし沼のようなドロドロ感と爽快感が共存する。大満足の舞台でした。
今年は12月にも公演があるとのことですので、12月までは生き永らえてみようと思います。生きる理由があるって良いものですね。