何かに狂ってる

もう私は、狂うしかないのでしょう。

よくわからねぇ演劇 vs. よくわからねぇ演劇

※下記の公演のネタバレを含みます。

チェルフィッチュ×金氏徹平「消しゴム山」

・演劇実験室◉万有引力「砂漠の動物園」

 

先週末は土日と舞台の日でした。とても楽しかったけれど、さすがに体も疲れたらしい。日曜日の夜は9時くらいに倒れ込むように布団にもぐりこんで、そのまま朝までぐっすり。ポケスリのスコア100なんて初めて見た。大人には体力的に無理だと思っていた。

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本当はこの記録も土日に書く予定だったのだけれど、ぼんやりしていたら火曜日になったので慌ててキーボードを叩いている。おかしい、時間の流れが早すぎる。月曜日はどこに消えた。

まず土曜日。世田谷パブリックシアター、チェルフィッシュの岡田利規さんとアーティストの金氏徹平さんで「消しゴム山」

setagaya-pt.jp

全くわけがわからなかった。あまりにも観念的すぎる。

演劇というよりはインスタレーションに近い。現代美術の展覧会で30分の映像展示を3分で飽きて5分で出てきてしまうタイプの人間には、ちょっと足を運ぶのが早すぎた。途中から天井の青空と他の観客ばかり見ていた。みんな集中して見ている様子だったので偉いなと思った。

舞台は三部構成で、第一部は洗濯機が壊れてコインランドリーに集まった人による洗濯機の懐旧の念が語られる。第二部では「タイムマシンで未来から現れた人に選挙権を与えるか否か」という思考実験に近い議論が行われる。第三部は……詩? もうこのころになると完全に頭に入って来なくなってしまって……。
ロビーに感想ボードのようなものがあり、入場前に暇つぶしに眺めていた。その中に「もっと練習してください」という書き込みがあった。そう言いたくなる気持ちはわかる気がする。第一部から第三部まで、まるでつながりのない脚本に、抑揚のない芝居が続く。舞台上に散りばめられたものを俳優が動かしたりバックヤードに持って行ったりするが、その動きも緩慢で意図や脈絡が理解できず、最終的に何か明らかなオブジェが出来上がるわけでもない。それが演出であることを理性では理解しているものの、緩急の乏しい舞台を2時間見続けるのは正直苦痛だった。
アフタートークで「ものの初期配置は細かく決めている」「分度器は陸前高田の工事現場においてあったもの」という話が聞けたのは面白かった。だがたまたまアフタートーク回で意図や考えを聞くことができたからよかったけれど、そういった補足がなければ理解できないアートに意味はあるんだろうかなどと考えた。それは結局のところ芸術家の自己満足に陥らないか。それとも、私だけが蚊帳の外で、他の人たちはみなそのメッセージを受信しているのだろうか。
この演劇は作者が陸前高田の防潮堤作成工事を見学したことから生まれたと、舞台について調べると必ず書いてあるけれど、そうではなく演劇の中身の話がしたい。同時に書かれているのが「人間的尺度を疑う」という言葉だ。人間的尺度、というその言葉も定義は曖昧だ。それは結局何なのか、高いほうがよいのか低いほうがよいのか。この舞台を理解できないと憤慨している私の尺度はどのほどか?

ありのままに感じたことを自分の感想と受け止めてもよいのなら、私には早すぎる舞台だった、と思う。面白いとも素晴らしいとも思わなかった。

 

日曜日は下北沢のスズナリで、万有引力の「砂漠の動物園」

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ここ数年は寺山修司の脚本が続き、オリジナルものは久々のような気がする。たぶん、私の場合は中野の「演劇実験都市プロメテウス」以来じゃなかろうか。
こちらはとても面白かった。相も変わらずストーリーがあってないようなものなので、何が面白いのかと問われるとはっきり答えることができないのだけれど、満足感を得て帰ってこれた。たぶん展開が早いから、考え込んだり悩んだりする間もなくジェットコースターのような感覚で観ていられるからだと思う。考えるまでもねえ、感じろ。
演出としてはアングラ特盛ハッピーセットで暗闇あり、観客参加あり、炎あり(でも今回は少なめだった)。数年前に「迷路と死海」を恵比寿のシアターアルファで上演した時は、コロナ渦真っ盛りだったので劇団員を客席にサクラとして仕込むしかなかった。時代は変わったし社会情勢もよくなったものだなあと思う。
とても効果的だったのが舞台装置。長方形の箱の模様が進行に合わせて変わり、最後には骨組み・枠組みだけになるのが意味ありげでよい。既存のレッテルを破壊するような感じ。そして舞台の真ん中に砂場が据えられ、演者は時に砂をまき散らしながら舞う。東京に住んでいるとコンクリに周囲をふさがれてしまい、砂というものと触れ合う場面がない。その砂が実体を伴って現れることにより、とてもダイレクトに自分の世界と舞台が繋がったような気がした。ただしこれは数列後ろからのんびり見ていた一観客の感想であり、正直最前だったら砂がかからないか気が気でなかったと思う。

シーザーの音楽を爆音で浴びるとテンション上がりますね。

 

両者とも1回ではなく2回、3回と観ればもう少し理解できるようになるんだろうか。いや、一生近づけないだろうな。そんな感じで土日の観劇記録でした。今月買っているチケットはこれで全部ですが、今もうちょっと行こうかなって迷っているやつがいくつかある。まあ舞台なんてなかなか再演もしないし、配信で見ても同じ気分になるかと問われるとそんなことないですもんね。チケット発売日忘れてなければ買います。